月夜の散歩

田舎暮らしの平穏ではない日常

【在宅】希望です!

改めまして【月】です。

始めましての方も、過去にお会い?出来た方も、

どうぞよろしくお願いします。

 

今日は私という人間を少し知ってもらうために

私の自分語りと現状の話を聞いてやってください。

 

 

私は青森県出身です。

高校卒業後、一旦地元で就職しましたが、

1年で退職、上京して専門学校へ通いました。

卒業後も地元には戻らず、東京で暮らしました。

 

そして最愛の人と出会えました。

 

区切りを付ける必要があった時と

父親が手術入院した時に1~2年程

離れて私だけ田舎で過ごしましたが、

それ以外はずっと東京で2人で暮らしました。

 

3年程前、私の田舎に一緒に越して来ましたが、

あの決断は失敗だったと、後悔しかありません。

 

 

去年、最愛の人が倒れました。

 

 

複数回の手術を受け、命は助かりました。

重い障害が残ってしまいますが、生きてくれています。

 

コロナの影響による面会制限に泣かされました。

「本来ならば面会した家族の呼びかけや接触

回復に繋がる事もあるのですが・・・」

でもそれは出来ないんですよね?

「こんな時期でなければねぇ・・・」

「皆さん面会出来ませんから・・・」

そう言われて、何と答えれば良いのでしょうか?

泣き叫びそうになるのを我慢する日々でした。

 

アパートで1人にしておくのが心配だと

妹の口利きもあってしばらく実家に滞在しました。

 

病院から急変の電話が来るかもしれない恐怖と

毎日必死に戦いながら仕事をしていました。

数人の同僚からは遠回しに嫌味を言われました。

父親からは心を抉るような言葉を吐かれました。

この人たちは鬼なんだろうか?と思いました。

 

最愛の人が心配で、不安で怖くて悲しくて、

心は病んでいき、食べられず眠れず、

3か月程で12キロ減ってしまいました。

 

2か月後、急性期病院から転院する時、

ストレッチャーに横たわったままで、

目は開いていても何も見ていない顔で、

呼びかけても何も反応してくれませんでした。

それでも、彼の手に触れる事が幸せで、

生きていてくれる事が嬉しくて、

移動中ずっと話しかけていました。

 

5か月後、今度はリハビリ病院を退院して

施設に移る事になったのですが、

少し意思疎通が出来るようになっていて、

その事が本当に嬉しくて、愛しくて、

出来ればこのまま離れたくないと思いました。

 

施設に移って5か月。

悔しい思いや辛さ、悲しさを味わっています。

今、別の施設に移るかもしれない状況です。

でも本当にそれで良いのか?

それが良い事なのか?

考えても考えても、不安ばかりです。

 

最愛の人が倒れてから1年が経ち、

大きい・重い・難しい選択を何度もしてきました。

不安、後悔、嘘、不条理、納得できない事ばかりです。

 

 

在宅介護を目指しています。

1番近くで、彼を支えられたら

どんなに幸せだろうと考えています。

簡単ではないでしょう。

私には無理かもしれません。

 

「介護は綺麗事じゃない」

「共倒れになってしまう」

「焦っても仕方ない」

「もう少し我慢して」

 

ごめんなさい。

聞き飽きてしまいました。

私たちは今、毎日死を考えています。

気力を振り絞って耐えていますが、

不健康な精神状態で毎日過ごしています。

たとえ「共倒れ」になったとしても、

不自由な日々に押し潰されてしまうとしても、

一緒に居たいと思っています。

 

在宅介護を叶えるために、

在宅で出来る仕事が出来たらと考えています。

こちらも、とても難しいと思います。

 

でも、頑張ってみようと思います。

少しでも後悔を減らしたいです。

一瞬でも多く笑って過ごしたいです。

不自由でも辛い事が多くても、

「生きてて良かった」

「一緒に居られて嬉しい」

「楽しいと思える時間がある」

そう思う事が出来たら大成功です。

 

【在宅介護】【在宅ワーク

 

お家時間を幸せに過ごす事を

残った人生の目標にして生きていけたら、

そう考えて、色々やってみようと思います。

 

まとまりのない、自分本位な自己紹介?でしたが、

最後まで読んでいただけていたら嬉しいです。

 

これから挑戦したい事、考えている事、

悩みや苦しみ、嬉しかった事、楽しいと思えた事、

色々と書き綴っていこうと思いますので、

どうかよろしくお願いします。

 

目指せ【在宅】!!!!!